ガイガーはドイツの実験物理学者で
ガイガー・カウンターの考案で知られる。
インド学者ウィルヘルム・ガイガーを父にノイシュタットに生まれ、エルランゲン大学、ミュンヘン大学で物理学を学んだ。
1906年イギリスのマンチェスター大学でシュスターの助手となり、翌年シュスターの後を継いだラザフォードの下にとどまり、α(アルファ)線散乱の実験に従事、優れた研究成果をあげた。
とくにα粒子が気体分子と衝突して電離する作用を利用したα粒子の計数装置は、後のガイガー計数管(1908)やガイガー‐ミュラー計数管(1928)として知られるさまざまな荷電粒子の計数管に発展し、放射線計測学の基礎を築いた。
またマースデンErnest Marsdenとともに行ったα粒子の大角散乱の存在を示す実験(1909)は、ラザフォードの原子構造の研究を基礎づけた。
さらにヌッタルJohn Michael Nuttallとの共同実験では、α粒子の飛程と親原子の平均寿命を関係づける法則(ガイガー‐ヌッタルの法則)を導いた。
1912年、彼は帰国し、ベルリンの国立物理研究所に新設されたラジウム研究所の主任研究員となった。
ここでボーテとともに、光の散乱で生じる反跳電子を測定して、光量子説を実験的に確かめた。
第一次世界大戦に従軍したのち、25年キール大学教授、29年チュービンゲン大学教授となるが、ナチス政権が確立すると親英的研究者とみなされて、よいポストにつくことを妨げられたらしく、36年から44年まではベルリンの工業高等学校で教鞭(きょうべん)をとった。
Posted in ドイツ・物理学者・人物 8 months, 2 weeks ago at 2:16 AM. Add a comment
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